家族はいる。
妻もいる。子どももいる。
晩ごはんも一緒に食べたし、今日あったことも一応は話した。
「今日どうやった?」と聞かれて、
「普通」
と答えた。
40代以降の男が使う「普通」には、だいたい18個くらい意味がある。
忙しかった。
ちょっと腹が立った。
少し落ち込んだ。
誰かに褒めてほしかった。
でも説明するのが面倒くさい。
それらを全部まとめて、
「普通」
で処理する。
非常に便利な言葉である。
そして非常に伝わらない。
家に帰れば、誰かがいる。
玄関には靴が並び、洗面所には家族分の歯ブラシがあり、冷蔵庫を開ければ誰のものか分からないプリンがある。
孤独ではない。
それなのに、家族が寝たあとのリビングで、ひとりスマホを見ていると、ふと少しだけ寂しくなる日がある。
テレビはついているけれど、内容はまったく入ってこない。
YouTubeを開いて、特に見たくもなかった「50代から人生を変える7つの習慣」を見始める。
3分後には寝落ちしている。
人生を変える前に、姿勢を変えた方がいい。
冷蔵庫を開ける。
何かあるかもしれないと思って開ける。
ない。
5分後に、もう一度開ける。
当然ない。
さっきなかった物が、急に生まれている可能性に賭けている。

そして、ふと思う。
「俺、何してるんやろな」
別に人生に絶望しているわけではない。
家出したいわけでもない。
山奥で陶芸家になりたいわけでもない。
急に大型バイクを買って、革ジャンを着たいわけでもない。
いや、少しは着たいかもしれない。
ただ、なんとなく寂しい。
この「なんとなく」というのが、また厄介である。
幸せなのに寂しい。人間はややこしい
家族がいるのに寂しいと感じると、少し後ろめたい。
こんなこと思ったらあかんのちゃうか。
家族もいる。
仕事もある。
家もある。
冷蔵庫にはプリンもある。
しかも、そのプリンはたぶん食べたら怒られる。
十分恵まれている。
それなのに寂しいなんて、贅沢な話ではないか。
そう思って、自分の気持ちを自分で却下する。
けれど、たぶん幸せと寂しさは反対語ではない。
幸せでも寂しい日はある。
家族を愛していても、一人でぼんやりしたい夜はある。
焼肉を腹いっぱい食べたあとに、冷麺が入るのと同じである。
いや、これはたぶん違う。
ただ、人間の気持ちは一個のタッパーにきれいに収まるほど単純ではない。
家族を大事に思っている。
でも、自分のことも少し分かってほしい。
一人になりたい。
でも、完全に放っておかれると寂しい。
話を聞いてほしい。
でも、「何があったん?」と聞かれると、
「別に何もない」
と答える。
面倒くさい。
かなり面倒くさい生き物である。
家族の中で、役割ばかりが増えていく
年齢を重ねると、家族の中で役割が増えていく。
夫。
父親。
稼ぐ人。
車を運転する人。
高い場所の物を取る人。
ゴキブリが出た時に呼ばれる人。
Wi-Fiが遅い時になぜか責任を問われる人。
家電が壊れたら、
「パパ、これ直せる?」
と聞かれる。
知らん。
電気屋ではない。
だが、なぜか一度コンセントを抜いて挿し直す。
そして直る。
すると、家族から少しだけ尊敬される。
Googleと再起動で、父親の威厳は保たれている。
旅行に行けば運転手。
焼肉に行けば肉を焼く係。
ショッピングモールに行けば荷物持ち。
家計が苦しくなれば、急に口数が減る人。
家族から必要とされている。
それはありがたいことである。
けれど、ときどき思う。
俺は「役割」としては必要とされているけど、「俺自身」はちゃんと見てもらえているんやろうか。
今日の仕事がしんどかったこと。
自分なりに頑張ったこと。
少し不安だったこと。
誰かに腹が立ったけれど、大人なので飲み込んだこと。
そういうものを、誰かに聞いてほしい夜もある。
でも、いざ妻から、
「今日、疲れてる?」
と聞かれると、
「いや、別に」
と言う。
なぜ言わない。
聞いてほしかったのではないのか。
そして誰も何も聞いてくれなくなると、
「誰も俺のこと分かってくれへん」
と、うっすら傷つく。
かなり難易度の高いコミュニケーションである。
家族側からすれば、ノーヒントで正解を当てろと言われているようなものだ。
オッサンは「大丈夫」を言いすぎる
オッサンは「大丈夫?」と聞かれると、反射的に「大丈夫」と答える。
腰が痛くても大丈夫。
仕事がしんどくても大丈夫。
金銭的にちょっと厳しくても大丈夫。
健康診断の数値に赤字が並んでいても、
「まあ、年齢やな」
で終わらせる。
年齢は免罪符ではない。
γ-GTPも中性脂肪も、こちらの男気には一切配慮してくれない。
本当は大丈夫ではなくても、「大丈夫」と言う。
そして、そのまま冷蔵庫からハイボールを出す。
少し濃いめに作る。
妻から、
「今日、濃くない?」
と言われる。
「普通やで」
また普通が出た。
この男の「普通」は、もはや信用してはいけない。
友達が減ったのではない。用事が減ったのだ
若い頃は、友達に用事もなく連絡していた。
「何してる?」
「別に」
「飲みに行く?」
「行こか」
これだけで会えていた。
計画性ゼロ。
生産性ゼロ。
でも、なんとなく楽しかった。
今は、誰かに連絡しようと思っても、いろいろ考える。
忙しいかな。
仕事中かな。
家族と過ごしてるかな。
急に連絡したら、何かあったと思われるかな。
生命保険の営業やと思われへんかな。
特に用事もないしな。
そう思って、結局連絡しない。
仕事の連絡は山ほど来る。
「確認お願いします」
「ご対応ください」
「一度打ち合わせさせてください」
「念のためリマインドです」
念のためのリマインドほど、念入りに人を疲れさせるものはない。
LINEもメールも鳴っている。
人とはつながっている。
でも、用事のない会話がない。
「この前食べたラーメン、めっちゃ濃かった」
そんな話をする相手が、意外といない。
友達がいなくなったわけではない。
ただ、お互いに立場ができ、家族ができ、予定が増え、体力が減った。
昔は深夜2時まで飲めた。
今は夜10時を超えると、翌日のことを考え始める。
飲み会の途中で、
「明日、しんどいやろな」
と思った瞬間から、もう半分帰っている。
父親でも夫でもない自分は、どこにおるんやろう
家庭では父親。
仕事では社長、上司、担当者、先生。
どこに行っても役割がある。
若い頃は、何者でもない自分が不安だった。
早く何者かになりたかった。
肩書きが欲しかった。
実績が欲しかった。
名刺に書けるものが欲しかった。
ところが年齢を重ねると、何者かになりすぎる。
父親。
夫。
経営者。
管理職。
地域の役員。
学校行事の荷物運搬要員。
そして、ふと思う。
ただの俺、どこ行った。
昔、何が好きやったっけ。
音楽を聴いていた。
映画も見ていた。
意味もなく車で走っていた。
友達とどうでもいい話をしていた。
今は、映画を見ようとしても途中で寝る。
音楽を聴いても、タイトルが覚えられない。
車で走っても、ガソリン代が気になる。
夢が小さくなったのではない。
現実の解像度が上がりすぎたのである。
寂しいからといって、人生を全部変えなくていい
こういう寂しさを感じると、何か大きく変えたくなる。
転職しようか。
一人旅に行こうか。
田舎に移住しようか。
趣味を始めようか。
ジムに通おうか。
そして、なぜかAmazonでトレーニングウェアを買う。
まだ一度も運動していないのに、形から入る。
新しいスニーカーも買う。
靴だけは前向きである。
もちろん、大きな変化が必要な時もある。
でも、多くの場合、必要なのは人生の大改造ではない。
家族を捨てたいわけではない。
仕事を全部やめたいわけでもない。
沖縄でカフェを開きたいわけでもない。
少しだけ、自分の心を置く場所が足りていないだけかもしれない。
月に一度、昔の友人に連絡してみる。
「久しぶり。特に用事ないねんけど、元気?」
これだけでいい。

相手から、
「何かあった?」
と返ってくるかもしれない。
オッサン同士は、用事のない連絡に慣れていない。
心配される。
それでもいい。
ひとりで喫茶店に行く。
昔好きだった曲を聴く。
ゴルフでも釣りでもサウナでも、何でもいい。
家族と仕事以外の場所に、もう一つだけ居場所をつくる。
大人の男に必要なのは、壮大な夢ではなく、月に一回どうでもいい話ができる場所なのかもしれない。
家族にも、少しだけ自分の話をしてみる
家族に分かってほしいと思うなら、少しは自分から話さないといけない。
これは、オッサンにはなかなか厳しい現実である。
何も言わずに察してもらおうとする。
察してもらえないと不機嫌になる。
長年一緒にいる妻でも、心の中まで自動同期されるわけではない。
スマホですら同期には設定が必要である。
しかも、たまに失敗する。
「今日、仕事でこんなことがあってな」
「最近、ちょっと疲れてるかもしれん」
「解決してほしいわけちゃうねん。ただ聞いて」
そう言えばいい。
だが、この「ただ聞いて」が言えない。
男はすぐ解決しようとするくせに、自分のことになると説明書をなくす。
本当は、「大変やったな」と言ってほしいだけなのに、
「いや、別に大したことちゃうけど」
と予防線を張る。
大したことないなら話すな。
家族もそう思う。
それでも、少しずつ話した方がいい。
何も言わず不機嫌になるより、
「今日はちょっと疲れてる」
と言う方が、圧倒的に分かりやすい。
黙ってハイボールを濃くするより健全である。
少し寂しいくらいが、ちょうどいい夜もある
寂しさは、完全になくさなくてもいいのかもしれない。
少し寂しいから、人に会いたくなる。
少し寂しいから、昔の友達を思い出す。
少し寂しいから、家族と話そうと思える。
寂しさは、今の生活を全部壊せという合図ではない。
「お前、自分のことももう少し構ったれよ」
心がそう言っているだけかもしれない。
家族がいても、寂しい日はある。
それは家族が足りないのではない。
家族を大事にしながら、それとは別に、自分自身も誰かとつながっていたいだけなのだと思う。
そんな日は、無理に前向きにならなくてもいい。
冷蔵庫を開けて、何もないことを確認して、また閉めてもいい。
ただし、人のプリンは食べない方がいい。
さらに寂しい夜になる。
テレビをぼんやり見てもいい。
昔の友達のSNSを見てもいい。
そして、誰か一人の顔が浮かんだら、用事がなくても連絡してみればいい。
「元気?」
たったそれだけで、少し夜の温度が上がることもある。
家族がいても、寂しい日はある。
でも、たぶん俺だけではない。
そして、たぶんみんな、冷蔵庫を二回くらい開けている。